« 03.10 jQuery Mobileのlistviewに弄ばれる | ココ | 03.13 炊き出しまっぷ携帯検索版ができるまで »

2011年3月12日

M9.0の衝撃  このエントリーを含むはてなブックマーク 

ちょうど、地震が起こった金曜日は有休を取っていてその時間、14:46は買い物の帰りで外を歩いていた。そういうわけで、まったく地震が起こったことに気づかずに家に帰ってきたわけやけど、最初に開けたFacebookの画面に「地震」という文字ばかりが流れていてアレは衝撃的だった。関西の人の書き込みにも「揺れた」と書いてあったり、一体どこで地震が起こったのか分からなかった。

Twitterを見ても「地震」の文字が踊っていたわけやけど、火の手が上がってるとか、Facebookも実況中継のような状態で、写真がアップされていく。震源地は関東なのかと思いきや東北の方やと知ってさらに驚いた。テレビをつけてみると、特番体制になっていた。しかし東北地方で地震が起こっているにもかかわらずテレビの映像は首都圏が中心。首都圏でも、千葉のコンビナートで火災が起こっていたり、お台場で火事があったりといろいろ大変なことになっていた。

最初の地震情報はM7.9、このM7.9という数字だけでも阪神淡路の時より大きいのに、米国地質調査研究所がM8.8と津波が来る前の早い段階で発表したのにさらに驚いた。

東日本大震災 M8.8世界最大級、沿岸に大津波(ref. asahi.com; 3/12 2:35)

そうこうしてる間にもう1つ地震が起こる。今度は茨城沖でM7.3、信じられないぐらいに驚いたし冗談も程々にしろといいたいぐらいに明らかに現実離れしてる現象が、現実に起きている。会社にひとまず電話をすると、実態は掴みかねていたらしいけど、確実に東京の人たちは帰宅難民になるだろうことは予想できた。地震の影響で、電車は止まり、高速道路は通行止、完全に機能不全に陥っている。その様子がTwitter、Facebookではほぼリアルタイムで得ることができた。

テレビをつけて1時間程度すると、津波がやってくる様子がテレビに映し出されるようになり、各地の港や仙台空港が飲み込まれる様子は印象深かった。しかしそれでも、実際にはもっと酷い津波がやってきたところはたくさんあった、だけどほとんどそれらは当日放送されることはなかった。夜になると津波によって広がった石油に引火した火災で火の海と化した気仙沼がずっと流れていた。現地の実際の状況が流れてこないので、火災が先なのか、津波が先なのか全然分からず、ただただみんなが避難した後の火災であることを祈るしかなかった。

東京は帰宅難民の大量発生により、避難所が各地に設営されたり、民間の会社でも社屋を一部開放するなど、「東京マグニチュード8.0」を彷彿とさせる世界が、まさに現実に起こっていた。

By ただ at 21:13 カテゴリー ; mein Erbe

« 03.10 jQuery Mobileのlistviewに弄ばれる | 03月の記事 | 03.13 炊き出しまっぷ携帯検索版ができるまで »




トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://pinmarch.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/1724