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2012年12月24日

段ボールを片付けた冬の日

ようやく、引っ越してきてからずっと最後まで残っていた段ボールを畳んだ。

年始にここに引っ越してきてから、もう年末になろうとしていて時間が経つのは早いと思うとともに、その間自分が何やってたのかなあという思いで満たされる。そういう虚無感みたいなものは、会社に入ってからは何度となく経験してるもんやけど今年に関してはいつもとは違う特別さのようなものがある。それは神戸から千葉に引っ越してきた、ということも要因のひとつとしては当然あるし他の要因ももちろんある。

今年に入ってからはほとんどブログの更新もできていない状況なので、これまでの出来事のハイライトっぽいものからまず書いていくと。去年の11月にこっちで始まるプロジェクトに参加してほしいということを上長(いや、上長の上長?)から言われ、半ば前プロジェクトからの左遷状態で12月の隔週出張、そして今年の1月からは引っ越しをして研修もどきの業務が始まる。社内外での特別な環境上、本来のプロジェクトでの業務とは別の場所で業務を行うことが約半年続き、7月から今の場所になり。個人的には環境の変化は2段階で起こっていたということになるんかな…。そして、本業とはまた別で進んでいた仕事の話もちょうど去年の10月ごろから始まっていたりしていて。これがFacebookの書籍であったりするわけやけど、ちょうど書籍の話があった頃には『これからは定時で仕事を切り上げられるような感じになる(というかなってる)し、大丈夫やろうな』という思惑があったからこれもまた結構な番狂わせになっていたわけで。まさに忙しい時には忙しいことが重なる、というそういう状況に。幸い書籍自体は出版社の方に大変迷惑をかけてしまいつつ4月に出版されたからその後は特にどうというわけではなかったものの、しかし別のネタで何かやりたいという思いは、思いがあるだけでなかなか実行に移せなくなった。それには、本業との絡みが出てくるわけやけどそれは後述ということにしましょう。

今やってるようなプロジェクトで仕事をするのは前プロジェクトが初めてで、続けて2度目になるわけやけども前プロジェクトが個人的にも対外的にも決してうまくいっているとは言えない状況での新プロジェクト。そのうえ、今回のプロジェクトでは今まで自分が体験していなかった知識分野の業務で常駐(出向)という形態も自分の中では初めて。いきなり海外というほど酷くはないものの不安が結構あったというのも事実でそんな中のスタートとなった。

最初の半年間は次世代シークエンサーとかいう装置から出てくるデータに対して様々な処理を施された後の、整形されたデータを使ってそれを可視化できるWebベースのシステムを作るというこれまで経験してきたこととほとんど近い(ただし、以前からあるシステムから派生させるというちょっと面倒くさい)ことをやっていた。しかしこれは今のプロジェクトではオプション的要素であって本来は装置から出力されたデータを整形するところまでが主業務。

この業務にあたっては過去に自分が初めてやったバイトのことと重なる面が多いなということは1年前から自覚があったし認識していた。にもかかわらず、いや、それを意識し過ぎていたためなのかそれは分からないけどその体験をなぞっている節が多いなということを最近特に感じている。簡単に言ってしまえば「分からないところが分からないから、結局分からないまま」ということに尽きる。あれやこれや、説明を受けたりするわけやけど、局所的な部分の説明をされている状態では周辺部分が「見えてない」から理解につながっていない、その時は理解したような感覚になるけど、理解できてない。

まあ、そう感じる原因となった出来事は主業務ではなく主業務と同時並行で進んでいた副業務だったわけやけど、あとから考えると確かにやっていることは普通なのに、言われている言葉がまったく呑み込めず結果として全然先に進まないということになっていた。点と点があるだけで、それが面となっていない状態では面に穴があっても見つけられないし、それを埋めようとすることもできない。見つけられれば埋められるのかもしれないけど、それにも知識が必要になる。なんというか、「すべてが足りてない」という状況を認識しても、それをどうにもすることができないという状態が数ヵ月も続いてしまった。聞くにも聞けない(聞き方が分からない?)、という状況もそれに拍車をかけて…。いや「本当に躓いている、のに前に進まないといけない、でもどうやったら前に進めるのか分からない」、ということがここまで深刻になったことは今までなかったかもしれない。それに加えて、主業務の方でも解析のやり方がおかしいということが発覚し、すべてのデータでやり直しという事件も起こって本当にダメかもしれないという境地にまで至った(しかし今考えるとまだ至ってはいなかったのかもしれない)。

すべてやり直し、という事態は今月前半に収束し、先週には副業務もようやく形に仕上げるところまでできて。面談でもようやく自分の現状を冷静に話すことができて。「(知識の吸収サイクルが)回っていない」ということをちゃんと客観的に認識できたのはよかった、今後は対処していくだけ。

ともあれ、今日段ボールがようやく片付いたことで自分の中で何か区切りがついたような、そんな感覚になった。

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投稿者 ただ : 23:21 | トラックバック (0) カテゴリー ; 仕事関係

2012年12月30日

今年の10大ニュース 2012

今年はいつにも増していろいろな出来事があったわけですが、良いこと悪いことさまざまでした。10大と書いておきながら今年もやっぱり10ではなく、8です。

8. カーシェアリング始めました

神戸にいたころには車の必要性を実質感じなかった(必要なときは実家の車を使うということが可能だった)のですが、今の家からではそれができないのでカーシェアリングを利用することにしました。何度か使ってみて、料金体系と使い方の摺り合わせを考えていたのですが、だいぶ分かってきました。車では都内の方向へ行ってはいけない、ということはよく分かりました。

7. 震災後の金融資産ダメージから回復

2011年の東日本大震災で、直前まで株式金融資産がプラス評価で評価額が実は10百万を超えていたんですが地震の直後に売ることができなかったため資産が4割弱にまで減ってしまいまして。実際あそこまでストップ安の影響がフルに襲い掛かってくることはリーマンショックがあったのだから想定できていて当然なんですが、リーマンショックでは実のところ巨額のダメージを被ったわけではない(そもそもそこまで資産が伸びてなかった)ので、はっきり言ってナメてました。売ることができなかった、というのは翌営業日の寄り付き直後で売るという判断を実行できず、放置してしまった結果であり、そこは心に刻んでおかねばなりません。2011年は1年通しても損失を大きく出してしまったので、今年の取引ではそれをいかに取り戻すかに注意していたのですがなんとかうまく利益を積み上げることができました。一時的であれ、評価額もようやくプラスにまで持ってくることができました。

6. デジイチを購入

大学に入った頃に買った初めてのデジタルカメラが富士フイルム製だったのが、次からはオリンパス製になり、以後ずっとオリンパス(3代かな、今持っているのは通算4代目)だったんですが、コンデジで頑張ってきました。そもそもコンパクトデジタルカメラなんていう呼び方ができたのが最近のような気がするけども、デジタル一眼レフカメラが出始めてからでしょうか。キヤノンのEOS Kiss X5を買いました。一眼レフカメラ自体は、実は中学の時に親のを使ってた経験があるけど、当時はフォーカスを合わせるのがよく分かってなかったり、明るさも調整できる、ということに全然慣れなくて放置してましたね…。液晶で見ながら、想定される出来上がりをリアルタイムで確認できる、というのがデジタルの素晴らしいところだと思っています。来年はもっと活用できていけたらと思います。

5. iPS細胞で山中教授がノーベル賞

これに関してはすごいの一言。最近の研究成果でありまだこれからの技術なのにもかかわらずノーベル賞ということで、しかも日本で生まれた研究成果ということで本当にうれしいですね。あとこのおかげで、11月はいつも株資産が目減りするんですが保有しているバイオ関連株が好調に推移して逆に利益を積み増せたという本当にありがとう山中先生、という状態でした。

4. Facebook Night

去年からFacebookアプリを開発して遊んでいたり、その関連で書籍を書かせていただいたりしたこともあって、Facebook上でつながりのあった森さんからFacebook Nightへの登壇をお願いされました。こういったことは初めてだったので、かなり時間オーバーしてしまいまして申し訳なかったのですが。最近はアプリ開発してないな…。

3. Facebook書籍

2011年の夏ごろにAndroidアプリの開発者コミュニティでお世話になっていた@yokomamaさんに声をかけていただいて、Facebookアプリの開発本の執筆をさせていただくことになりました。Facebookアプリを作るためのAPIプラットフォームは仕様変更が激しくて作っている間にも仕様変更が起こったり、またアプリのIDによっては同じ中身でも動いたり動かなかったりするので大変厄介な活動でした。個人的にはあんまり仕事で関わりたくはないなぁ…という感じです。

2. 引っ越し

直前のエントリでも書いてはいましたが、年始に引っ越しをしました。ずっと住んでいた関西を離れて今は関東にいるのですが、街自体の環境は関西にいたころとはそんなに見違えるほどのものではなく、むしろ地元と神戸の中間ぐらいのような雰囲気で落ち着いてます。風土風習的なものの違いはあるのかもしれませんが、仕事に行って帰ってくるだけの身にとっては、あんまり関係がなかったり。ただ、ここの風は神戸にいたときよりも強くてびっくりしてます。

1. 母他界

今年何があったかと言えばやはりこのことに尽きるのかなあと思ったりします。ブログの記事もバックデートして書ければよいのですが、いつ書けるかわからないのでこっちで先に事実のみ載せておきます。Facebook上ではほぼ直後に書いてはいたのですが…。子供のころにはいろいろとあったけれども結果的には本当によくしてもらったのに、なにも返せないまま死別することとなってしまって申し訳ないし悔しい思いしか残っていないです。しかし、親戚じゅう異口同音だったのは、去年に(母方の)祖母が亡くなってからで本当に良かった、と。長い間体調不良に耐えて闘っているのを見ていて、それからようやく解放されたんだなということもあってから悲しみという感覚はほとんどなかったです。たぶん経験しないと分からない感情だとは思いますが。

仕事のほうも慣れないまま過ごしていたり、結構大変な1年やったなあというそんな年でした。

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投稿者 ただ : 23:34 | トラックバック (0) カテゴリー ; mein Erbe

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