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mein Erbe

04.09.21 ロイホにて

学会がありました。もちろん、自分には発表できることなんぞこれっぽっちもないので、労働力で。
しかしだ。この労働に対する報酬には大ブーイング。この学会の仕切りはある医学系学会事業の老舗(ホームページ情報による)がやっているみたいなんだが、 そのほとんどが派遣かバイト。そのバイトと、同じ時間中ずっと同じことをしているにも関わらず僕らが全日程出て貰っている額は彼ら彼女らが1日に貰えるだろう金額。そりゃやる気も出ねぇ (単純に考えても1/4やし)。そんなこんなで始まった学会ですが。始まったとたんにふと、思ってしまったのが

もし、今もNECが独自路線やったらこんな国際学会とかはどうなってたんやろう?

思えばNECがDOS/V互換機を生産するという一大決心をしたのはWin95が出た頃。今から約10年前。あのときはまだPC9821(!!)が頑張っていた。どう? 思い出しましたか? USBも、楽天も、ライブドアも、そして液晶ディスプレーすらもまだこの世に存在しなかった時代に、日本でシェア90%近い値を握っていたPC9800シリーズ、 日本のWindowsとも言える標準機がDOS/V(PC/AT互換機)という海外の波にさらされ始めた。全くアーキテクチャの異なるこの2つのパソコンは、同じWindowsであってもそれぞれNEC用とDOS/V用が存在した。 ゲームソフトも互換性がなく、このゲームがしたいと思ったところでDOS/V用で対応していなかったりと悔しい思いをされた方も結構いたのではないだろうか。
Win95の登場により全てのWindows対応ソフトが機種の壁を超えて動くことがソフト会社に義務付けられたことでNECが持つ独自性はその価値を失い始めた。 独自設計のマシンは高いだけで外からどんどん流れ込んでくる格安のパソコンには価格面でかなわない。そしてこれまでの独自路線を捨てて、DOS/V機に乗り換えた。その結果、 パソコンにも例外なく価格破壊の波が襲い掛かりNECのシェアは40%にまで下落、今では20%になったとまで言われる。まさに敗北と言えよう。

しかし、もし仮に、NECがアーキテクチャの変更を行わずにコストダウンの方針をとっていたら…。国民機98と呼ばれたNECのマシンの地位は、 どうなっていたのだろう。USB接続によるデ一タの交換は今やWin-Mac間でも可能。しかしどちらの陣営も滅んでいない。98も健在だったのだろうか? 今や、 イン夕ーフェイスにおいてパソコン間でほとんど障壁がない時代に突入している。NECは時代の流れを読み間違えたのだろうか。

リーガロイヤルホテルのレストランでとても恥しくなるくらい騒いでしまった。もう、パンとライスを選ぶところで「スープ・サラダ・パン」 「ライス・コーヒー」「紅茶」なんて区切り方してる人だれ〜? そこの2x歳の人。また紅茶に沈めたレモンを取ろうとしてテーブルに落とすし。笑いすぎ。

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