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2006年5月20日

医療福祉学と生命科学が交わるとき#3  このエントリーを含むはてなブックマーク 

10/27からの続き。長らく放ったらかしにしてたけど。


EBMとテーラーメイド(オーダーメイド)医療、個別化医療という言葉が最近(と言っても半年くらい前)のライフサイエンス・バイオ産業の医療産業との結びつきを象徴する流行のように取り沙汰されてるんやけど、"科学的根拠に基づいた個の医療"と、本当の意味でのEBMというのは結構距離があると思われる。

あいまいさこそが医学の本質

実際の診療現場は、もっとあいまいでアナログ的なものなのである。医学には非科学的な部分が存在し、限界もある。あいまいさこそが医学の本質だということを理解し、西洋医学以外の存在も肯定する姿勢こそ医学には必要ではないだろうか。医学は科学ではないということに気がつけば、患者も医学に何をどこまで求めていいのかがわかる。新しい医療の方向はそこから見えてくるはず、と著者は提言している。

正直、医学が非科学って言うのはどうなのかと思うけど…。科学的な根拠でない根拠として『安いから』とか経営的な視点が入っているために『科学的ではない』と言っているのに違和感。動態がちゃんと科学的に証明されているものなんだから、どちらを使おうとも根拠は科学的であるのには間違いないのでは。医学と経営学を混同してしまっているから医学が非科学、というおかしな結論になるのではないかと。確かに、『病は気から』という言葉の通りにプラシーボ(偽薬)の現象が存在はするけれども、それを解明しようと、今の心理学、脳科学、そして生命機能学(基礎医工薬学?)が役割を果たそうとしているのではないのか。ただ、まだまだ基礎的な部分でのメカニズムを解明している段階ではあるが…。

確かに理想的な、"科学的根拠に基づいた個の医療"というのはまだまだ時間がかかることなのだろうとは思う。ただ、医学は列記とした自然科学でそれ自体は基礎となる知識だと思う…それに経営学がプラスされた医療となると、複雑系になってさまざまな派生した状況が出ると思うが(医学が発展とともにあまりにも細分化されていてすべてを把握することが難しくなりつつあることも原因にあるとも思う)。

統計に表れない小さな変化が日本を変えていく

このような、何でもない兆しでも、たくさん集まるとある日これが連鎖反応を起こす。日本人はなるべく穏やかに物事を進めたい民族だから、基本的には騒がない。でも、変化の兆しがたまりたまって、ある日、ワッと出てくる。少しずつたまっているところを見ていない人は、そういうときに「意外な成り行き」という。マスコミはそう書けば済むかもしれないけど、そんなはずはない。もっと前から、きちんとマグマはたまっているのだ。しかし、統計として出てくるまではそれを見ようとしないのが学者と役所だ。そして学者と役所の発表に頼るマスコミも同じ。

統計に出ないことを見なければ、未来は見えてこない。私たちは、身の回りの小さな変化を見逃さず、じっくり見ていく必要がある。

まぁ、統計に出さなければ科学的根拠にはならない、というのはそうなんですが。そうでないものもある、ということで…上に書いていた経営的視点、というのがこちらに当てはまるのではないか、と。ただ、それを数理的に(科学的に)示しているのが経営工学なんですがね…。
本当は統計で示そうと思えばできることなのだろうが、注目していないだけ、ということもあると。そういうことでしょうね。それを探し出すのがデータマイニングなわけですが。時間軸が加わると、データマイニングも難しくなるわな(株とかは時間軸が4次元目ではないから別扱い)。

社会的起業/貢献も事業性あってこそ

いくら素晴らしい試みでも、事業性がなく、人々の慈善や行政支援に頼るだけでは長続きしない。逆に、営利事業はこの分野になじまない、という見方も極端すぎる。
しかしこの記事が示すように、公共サービス的なものに関してはほんまにビジネスに仕立てていこうと思ったら大変やろうなと思う。(続く)

By ただ at 23:03 カテゴリー ; mein Erbe

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