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2006年12月 3日

ありがたみはどこに  このエントリーを含むはてなブックマーク 

自分が身を置いている業界だけに、その進歩と利便性の追求に関しては賞賛に値すべきことだと思います。

RSSに始まり、XML、XML-DB、オントロジー…知識の収集と整理は、人間がアナログ的思考でするからこそ、価値が生まれ、それ相応の対価が付随するものだという思いは今なお変わりはないですが、前述のような規格を創造することにより、その価値と対価のバランスが常に変化し続けていくことだろうとは容易に想像がつきます。なお、その変化は非可逆的に、一方的に、です。


エントロピーは増大する方向に常に働き、極大となったところで定常状態に陥ります。そんな状態が、将来的にこの知識工学の分野でも起こるかどうかは分かりませんが、今のところは、その流れが緩やかになることはないだろうと思います。

ネットバブルが起こる前、それぞれのサイトに載せられている情報は検索サイトに登録されていて、"ぴったりの言葉で"検索して貰えなければ見られることはなかったものがほとんどだったのですが、ネットバブルを迎え、情報量と通信量の爆発的な増加と、それを支えるハードウェア的、ソフトウェア的技術革新によってさまざまなことができるようになりました。

その一例が、Web2.0と呼ばれる現在のWebサービスに繋がるわけですが、ネット上に公開される人間が持っている情報を、機械的な仕組みによって認識できるようにすることで、人間が情報を収集するときの手助けをするようにしようという試み(というかサービス)になります。
その"機械(ソフトウェアを含む)"をさらに向上させるためには、"使われること"が重要になります。そのお手伝いをしてもらおうと、さまざまな企業がさまざまなサービスを提供しているわけです。

ブックマークサービスなどもその中にはあります。ブログが普及する以前は、それぞれのサイトに作られたリンク集が、類似した、もしくは異なる趣向の情報を収集するための人力サーチエンジンに相当する機能を担っていました(まだ今も)。しかし、現在はブログというプラットフォームから機能拡張されたサービスによって、そのようなリンク集を自動で生成する機能が付いているとも言えます。
過去の技術レベルから想像できるのは、リンク集を作っていたのは人だということで、「あ、このサイトの作者さんが見てくれてるんだ」という意識があり、見てくださってありがとうございます、というような感謝の気持ちも生まれるのだろうけど、今となってはそのリンク集が機械的に生成されている可能性もあるわけです。

ということになれば、感謝は誰にすることになるのでしょうか? そもそも、感謝が必要となるのでしょうか? そういった疑問が生まれてくるのは当然だろうと思うのですが、今のネット上での様子を見ると、感謝は必要ない、というような考えが主流となっているように見受けられます。
以前は、情報は無機的なもので、人間が結び付け、整理することで有機的なものに仕立て上げていく、というような過程が見えていました。しかし、機械的な処理が発展することにより、より有機的な情報がスタンダード(当たり前)になっているような社会になることで、有機的にしている人間に対する価値というものが下がってくることがスタンダードになっているように見受けられます。

それは、給食問題に見られる食べ物と人間に対する価値の低下と同じとも思えます。
当然のことだとは思いますが、食べ物と情報、人間に対する価値は下がることがあってはならないと思います。

By ただ at 18:00 カテゴリー ; mein Erbe

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