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2007年6月20日
「深く」考えずに仕事をする
深く考えずに仕事をする(ref. PCオンライン)
上記記事にて引用されていた下記記事について。
論理的思考の放棄(ref. 登 大遊@筑波大学情報学類の SoftEther VPN 日記)
論理的に考えないほうがうまく行くと聞いても、それが正しいかどうかやってみずに、論理的な正誤判断をしようとして、「論理的に考えた結果、まさかこんなことはないだろう」という論理的な考えに従い、いつまで経ってもやってみないということがある。それはとてももったいないことである。うーん…まぁ…論理的思考は実作業において無駄であるという点では納得いくのだが。だから、計画の段階においては論理的思考が重要になるんだ、という方向に持っていくのかと思ったら、それがそうではないというんだから意外なんよね。
元記事では、「論理的思考」に対応する言葉として「感覚的思考」という言葉を使っているけど、「感覚的思考」のその実体って、結局は「センス」やと思うんよね。脳の情報処理は「感覚的」であり、音楽のようにプログラムのイメージを組み立てていく、そんな風である、というのであれば、その過程には"つなぎ"の部分であったり、"筋"の部分だったりを、最終的に"違和感"がないように行うということが含まれている。要は、そのプロセスをどれだけ意識せずに行えるか、ということになる。
最初のコメントをされていた方が指摘している通り、無意識に行えるくらいに何度も経験しているからこそ、そのプロセスを「感覚的」と言えるほどまでセンスが磨かれているのだと思う。
その手段は、何だっていいと思う、ワープロで作っても、パワポで作っても、手で書いても。けど、その設計を行う過程の中では整合性を保つための論理的思考が組み込まれていることは言うまでもなく、そこが滅茶苦茶だと、出来上がりどころか、実行するときでさえも苦労することになる。
というか、そこを「論理的思考ではない」と言い切っている筆者がすごいと思った。たぶん定義が違うんだろうな。
Q: 後輩の指導役になったが、そんな余裕はない。勝手に覚えてほしい(ref. ITPro)
主張はもっともな正論だが、あまり考えたくない。
新人に新聞の要約をやってもらったが、まず、1日目に選んだ記事がシリーズものの最終回というミスチョイスに有り得なさを感じる。…「一頻り全体を見てみる」ということがやはりできてないような。というか、その歳で「やりやすそうな記事を見つける」という(ずる賢い)作業ができていないことが不思議でならん。
By ただ at 23:10 カテゴリー ; mein Erbe , 仕事関係
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コメント
傍観者としては、ちょくちょく記事に顔を出してヘタレっぷりを披露していく「新人」に萌えすらも感じるのですが。
投稿者 たなか。さん : 2007年6月23日 10:51
あーそういう見方もアリっちゃアリ。けど、当事者としてはツラい。
投稿者 たださん : 2007年6月24日 15:08